FileMaker Developer Conference 2018
~FileMaker キャンパスプログラム 実践校編~

FIleMaker Developer Conference 開催

2018 年8月6日~8月10日まで米国ダラスで開催された恒例のFileMaker Developer Conference 2018 に北海道でのFileMaker キャンパスプログラム実践校の1つである札幌国際大学の学生(5名)が参加した。

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FileMaker Developer Conference とは、米国FileMaker社が毎年この時期に開催している会議であり、世界中からFileMaker を利用する開発者、利用者、関連会社等が参加する。登録参加人数は毎年約1500人程度を数える。会議自身は、ソフトウェアのトレーニング、開発の技術講習、ユーザー事例紹介、などを中心としたセッションが毎日朝09時から18時頃まで1時間単位で5から6トラック程が同時進行で公開され、ホテルの大小様々なホールセッションに自分の興味に合わせて参加することになる。また、オープニングキーノートやクロージング、などFileMaker社直々のセッションには所謂NDA(秘密保持条項)が付され、この会場でしか聞くことができない情報も数多く存在する。

世界中から集まるとは言え、開催場所が米国であることからその大半は米国人であり、セッション内容含めて、基本的には全て英語で進行されていく。

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セッションは毎年、開催に先立つこと半年から10ヶ月ほど前に公募され、その申請内容を元にFileMaker社側で選定される。セッションスピーカーに選定されると、開催期間中、赤いSpeakerリボンを携帯する認証バッジに付すことを許可され、スピーカーと判るシャツを着ることができる。世界のFileMaker市場では日本の占める割合は3割程度あると言われているが、ことスピーカ率でいうと、言語の問題のせいか、過去20年強の会議開催の中でも公式、非公式含めて数人しかいない。

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Developer Conferenceへの申請と採択

今回のDeveloper Conference (通常、デベコンと称される)のセッション公募に際し、私は北海道で高校、大学合わせて3校に協力するFileMaker キャンパスプログラムの実践について発表する機会を求めて申請した。ソフトウェア業界としては比較的マイナーな環境であるかもしれないFileMakerではあるが、昨今のスマートフォン中心のICT環境において、desktop/mobile/web と幅広く動作環境をカバーし、且つデータベースエンジンとレイアウトデザインツールを合わせ持つ FileMaker は教育機関におけるSTEM教育の実践ツールとしても非常に効果的であること、また、業界の将来においても、開発者ではない学生に如何にこのツールに興味を貰ってもらい、その存在を若者に知らしめるには当該キャンパスプログラムは極めて効果的なプログラムであると確信しているからである。個人的な経験ではあるが、FIleMaker 開発者ではない一般的な学生に FileMakerを意識させずに、大学、高校教育のcurriculumの中の情報系講座の1つのコマとして修学してもらうことを試行してきた過去数年間の実績の発表の場としてはこれ以上ない場であると考えていた。

今期はカリキュラムの構成上、札幌国際大学での講義が中心になるプログラム展開となっていた。札幌国際大学での私の講座は一昨年の2016年秋学期(2年次以降の選択科目)からの開始となっており、今年は三期目に当る。第一期生は今年が卒業する年次となる。

日本で行われた昨年秋のファイルメーカーカンファレンス2017 Japan において道内3校の学生達と成果発表(https://youtu.be/qmGAPlAd_oE)をすることができたこともあり、次はアメリカ本家での発表を、と学生達と本気とも冗談ともつかず話していた。

後から聞けば、発表を目指して申請はするものの学生達は「まさか受かるわけもなく」とたかをくくっていたらしい。私だけが必死になって、申請準備、申請実行と汗をかいていた。おそらくは日本のFileMaker社の後押しもあったと思われるが申請後の約1月後の2月上旬、「Congratulation」のタイトルと共に、セッション採択を知らせるメールがFileMaker社から届いた。私自身、2015年以来2度目のスピーカー選出となる。

発表内容の精査と準備

いざ採択が決まると学生達は驚きつつも、「アメリカに行ける!」、「豪華なホテルに泊まれる!」とセッション内容よりもその概要に興奮した。今回採択されたセッションはユーザー事例紹介セッションの1つとしてイギリスからのプレゼンターとの合同セッションとなり、全60分のうちの約30分の時間枠でキャンパスプログラムを中心とした「次世代の若者達とFileMaker」が基本テーマになる。

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私自身は札幌国際大学での講義は週1回であり、ちょうど採択通知の時期の学校は定期試験から春休みに入ろうとしているころ。また、諸般の事情で正式にセッションについての詳細が通達されたのが4月に入ってから、ということもあって、準備するセッション内容について学生達と協議し、決定し、準備する行程は当初から遅れて始まった。大学名称に「国際」という名称は冠するものの英語とは縁遠い学生時代を送ってきていた学生達にとって、いきなり英語でのプレゼン準備は敷居が高すぎると判断し、彼女達が日常的に実施しているFileMakerを利用したサークル活動は従来通りの内容で進めつつ、これまでの活動を振り返るようプレゼン資料を昨秋の日本のカンファレンス資料を元に再構築するところから始めた。運良く、5月末には札幌に近い小樽で北海道のFIleMakerユーザーが集う合宿が開催される予定となっていた為に、まずはそこで日本語で発表できる内容としてまとめることを当面の目標に設定した。

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春には新たなメンバーもサークルに参加し、そうしたサークル活動では学生生活に華を添えるような新しいアプリを作成しつつ、プレゼン凖部も徐々に進めていた。

渡米準備と英語

1つの大きな決断は誰を演題に立たせるのか、と言う点にあった。米国FileMaker社からは、演題に立つのは、あくまで私ともう1人のプレゼンターのみと学生枠は1人に限定指定されていた。一方このFileMaker サークル(F.LT / FileMaker Lunch Time )は、チームとしてここまで活動してきており、特定の1人のみにフォーカスを宛てるのは本意ではなかった。しかしConference側の準備もあることなので、発表者だけは決めることとした。実力、サークル貢献度などいろいろ考えたが、最終的には恨みっ子なしの「あみだくじ」。これで最初の壁は越えた。

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今回幸いにして、サークルメンバー4年生5人全員がカンファレンスセッションにも参加させて貰えるというこの上ない幸運を手にすることができたのだが、発表者1人とそれ以外の4人を如何に同じ気持ちで当日を迎えるようにするかが重要な点でもあった。そこで役割分担としては全原稿を4人のサブプレゼンターが1/4ずつ分担する担当者とし、当日何がしかの理由によりメインプレゼンターのスピーチが止まってしまったとしても即座にフォローできる役割分担を最低限の役割とした。また、当日に至るまでは都度都度セッション原稿を日本語、英語ともに変更を加えていくが、各人が担当する区分の原稿を含めて全員がどこがどのように変更されたかを常にフォローできるようにしておくこと、という約束で準備を進めることとした。

問題はセッションスライドにせよ、原稿にせよ、どのように英語化していくかが最大の難関となっていった。学生達に可能な限り主体的に取り組んで貰うことを目標とし、英語原稿ができ上がってくるのをひたすら待つ日々が続き、漸く6月中旬にでき上がってきた原稿を確認することができた。

可能な限りオリジナル原稿を残すことを試みつつ、如何にもインターネットを利用した翻訳になっている部分については、発言の意図、スライドの意図を確認しながら、学生原稿を基本に手を加える形で修正を実施し6月末までに一通りの原稿の完成をみた。ここで初めて通しでの英語モードでの読み合わせをするも、英語を利用したプレゼンテーション経験のない学生であることもあって、前途多難な様相に残り時間の短さをどのように効果的に利用していくかが当面の課題となったいた。

また日頃の活動は必ずしもデベコンでの発表が全てではない。新たにサークルに参加してきた三年生による既存アプリケーション(SIUキャパスガイド)の年次更新と機能強化及び4年生による新アプリ(インスタ映えガイドーSIViewー)開発、そして自分達の学生生活と、今まで以上の活動量を実践しながら夏の本番に向けて日々を過していた。

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直前1ヶ月の焦りと集中

渡米まで残り1ケ月を切る頃には米国入国に必要なESTAなどの事前書類手続き、携帯するクレジットカードやWiFi電子機器の準備に余念のない日々が続いた。大学側からの指摘、指導もあり、当初の期待とは裏腹に学生の渡米行程は、日本出国後は途中乗換えなどのない現地直行便での往復行程となっていた。私が米国での会場に最も近いダラスの空港(フォートワース)で学生達を迎え、そのままともにホテルへ移動、会議終了後はフォートワース空港へ同行し、帰路の便に学生を乗せて帰国ルートに載せる。個人的には、折角の機会でもあり、若い感性での異国体験を通じた渡米行程での成長を期待していたが、残念ながら昨今の教育現場では大学というステージであってもそうした自由にはあまり寛容でないらしい。

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ようやく行程もきまり、様々な準備もほぼ整い、個々人にとっては最も大きな課題であった就職活動も全員が完了し、残るはプレゼンテーションの完成度を上げるのみ、という状態になっていた。この頃、学内の米国人教員にこのプロジェクトに参加してもらい、原稿チェックやプレゼンターの発音を含む英語スキルをネィティブの目から実施してもらうことになった。音読サンプルを提供してもらい、それをスマートフォンに入れるなどしてDictationの様な形で発音のブラッシュアップを実践。サポート組4人は、日々修正アップデートされる原稿から、自分の担当部分を常にチェックしその差異を自分の担当英文として反映していく作業の繰返しであった。この頃の様子は、サークルのTwitter(Tw) アカウント( @flt20170401 )に緊張感や焦燥感とともに記述が残っている。

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プレゼンテーションは、英国からのプレゼンターとの協同セッション(合計1時間)であるために、こちら側の担当範囲は30分。原稿量としては、その30分を10分強が私として20分相当を学生にと考えていた。20分相当の内容は文量的にも相当あるために、粗原稿ができあがった段階で英語の精度を上げていく方針としていた。

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進捗とは関係なく、日々はどんどん過ぎていき7月も下旬となっていた。大学での最終講義の日であり、また、私の渡米直前の日に、全体を通してのプレゼンリハーサルを本番さながらに実施したところ、当初の通し練習とは隔世の感はあるものの、まだまだ英語でのプレゼンレベルではなかった。発音し辛い単語の変更、冗長な文章の短縮化などをギリギリまで実施し、学生達には、本番当日までの残り2週間、可能な限り原稿を読込むことを指示し、私は事前に渡米した。

米国での再会と会場入り

事前に渡米した私と出発準備に追われる学生達とは、日頃サークル活動を報告しているTwでの定期アップデートとスマホアプリ「Line」での連絡で国内にいる状態とあまり変わり映えすることはなかった。初めての海外出国となる学生もいたために、防寒対策などデベコン参加への注意事項を含めてフライトに搭乗する直前までフォローを心がけたが、グループでの移動ということもあり、本人達はあまり心配はしていなかったかもしれない。

私が米国での事前の予定を終え、ダラスフォートワース空港に到着すると、Lineに学生から到着の連絡が入り、TerminalDで落ち合うこととなった。

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米国での再会と会場入り

大きなスーツケースを抱えながらロビーで待っている2週間ぶりに会う学生達は心なしか疲れている様子はあるものの、相変らずの明るさで初めての米国の雰囲気を楽しんでいる様子であった。心配していた道中での体調不良、入国でのトラブルなどもなく、元気な様子にまずはホッとする。合流後は早速米国ならではの配車サービス「Lyft」を利用し、2台に分乗して会場(Gaylord Texan Resort & Convention Center)に向かった。

デベコン初参加の学生としてみれば、会場のホテルを含めて見るもの、聞くもの全てが初体験である。特にデベコンで利用するようなホテルは一般的な旅行などで利用するには多少値が張るようなレベルのホテルである。これが米国のホテルの一般的な姿であると思われては困るが観光関係の職につくことが決まっている学生にとっても、こうしたホテルの宿泊体験はきっと卒論に向けて有効な論文素材になると思う。

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レジストと直前準備

今回のデベコン参加にあたり、事前にFileMaker Inc.の担当の方やFileMaker Japanの方と調整はしていたが、前回のスピーカー参加の時とは事情が異なり、学生を帯同しての参加、それもサポート学生含めての参加ということでホテルの部屋はきちんと取れているのか、事前のレジストはきちんとされているのか、が現地入りして私が自分で確認することが最も大きな懸念事項であった。

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人数分の部屋の手当を確認し、無事に各部屋に荷物を入れて、一息つきつつも私の部屋で最低限のミーティングを済ませ、残る懸念事項のレジストに全員で向かった。私自身の登録がSpeaker枠であるにも関わらず通常受付エリアで登録確認をしてしまい名前が見つからずにドタバタしてしまうという一幕や、一人の学生のバッチがなかなか見つからない(結果的には別の処に入り込んでいた)という事態はあったが、全員、バックやバッチなどを手にしてまずは一段落。

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ホテルの至る所で出会う日本からの開発者、FMInc/JPの方々に学生達を紹介しつつ、学生達は夕食を自前調達しなければならないのでホテルフロントで英語練習を兼ねて好みの食事を楽しめる場所をヒアリングさせると、自由時間での個々人でのリハーサル及び夜のプレゼンリハーサルの時間だけ決めて一時散会し、私はプレゼンターパーティへと向かった。

学生達の夕食には日本からの開発者の方々も同席してもらえたらしく、愉快な初日の夕食を過したらしい。

夜間リハーサル

初めてSpeaker参加した際に出席した Spekaer’sMeeting では、Speaker として非常に参考になるアドバイスが多くてとても助かったのだが、今回はSpeaker Party はあるものそうした実務的なMeetingはないらしい。実際、あの年はSpeakerの顔ぶれもがらっと変わった時だったらしく、服装やら、セッションの進め方やら、事前練習の方法など、一般的には得難い情報の提供も多かった。特に、「Clearly/Slowly/Loudly」の言葉と、「rehearsal ,rehearsal  and rehearsal 」という、この時のPresenterの心得とAuthorised Trainer でのトレーニングの際に教えて貰ったことが今の自分のプレゼンの礎になっていることを考えれば、 FileMaker 様々だ。その時に伝えられた内容のポイントを今回の学生にも引き継ぐ。

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食事が終わったことを確認し、一休みして22時頃より部屋に集まってもらう。

まずは通しで実施。格段に英語の発音は良くなっているが、まだ文章の冗長性が取れていない点や、意味不明な単語の発音がある。また英語が得意でないから仕方がないとは言え、原稿の棒読みなってしまっており、息継ぐタイミングがずれていてセンテンスの意味が判らなくなっている箇所が見受けられる。本番まもないこともあり、既存文章への加筆は学生への負担も大きく厳禁。意味を考慮しつつ、発音しやすい単語への転換をしながら文章そのものを削除していく。判り切っていること、繰り返しなこと、本旨とは関係の薄いことは躊躇なく切り捨てた。こうした修正で文章量の10%程度は削減された。発表者としても発音しづらい単語をより平易な単語に置換ることでそのセンテンスへのプレッシャーも低くなり、全体の流れも良くなってきていた。学生達は短くなった原稿テキストを再度清書し、ホテル内のビジネスセンターで印刷。それを個々人が担当部分を再度検証、という作業で夜も遅くまでリハーサルを重ねた。

市内観光とJP-MeetingそしてOpening

6日は午前中から夕刻迄は自由時間とし、米国を満喫してもらう。薦められていた水族館やケネディさんの例の場所にも市中に出て行ってきたらしい。早速、前日に利用したLyftを使うなど、米国ならではのサービスも体験している。短い滞在時間だからできる限り異国体験を満喫して欲しい。

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夕刻16時からは日本チームの Welcome Party。昨秋の日本のカンファレンスで学生と会っている方もいたかもしれないが、日本からの最年少参加者達と改めて紹介される。学生達は日頃接しているような方々とは異色の面々との会話に少々困惑していたかもしれない。

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夜18時からはオープニングキーノート。デベコンへの常連参加組には珍しくない展開だが、大会場には大型スクリーンにきらびやかな映像、日本のそれとは異なる音楽やアナウンス。否が応でも気持ちは盛上ってくる。加えて全聴衆を前に、日本から参加してくれた学生達、と大スクリーンに学校名や名前と共に紹介。自分たちは凄い所に来ているということを実感できただろうか。

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そんな中、プレゼンターである学生の声の調子がおかしい。そう言えば 日本チームでの Welcome Party の時もちょっとかすれぎみだった。どうも前夜半から急に声が出辛くなっているらしい。このまま体調を崩されたらまずいと、栄養剤などでノドのケアを実施。夜間のリハーサルは自主練習に切替えるとともに、翌日のホテルからの外出は禁止として自室待機(セッションは厳選参加)とさせた。

デベコン開幕とセッション参加

Developer Conference  は、ホテルの中の複数の部屋で同時進行でセッションが展開される。事前に配布されている資料等で自分の興味があるものを選択し、休みべきタイミングは休みながら参加するのが通常のパターンである。今回参加している学生達には、所謂開発者向けのセッションよりは、講義等でも盛んに利用してきたデザイン、レイアウト、など表面的な部分でのアプローチの方が判りやすいだろうといくつかのセッションの「受講」を薦めてはいたが、基本は自主参加とさせた。ただし女性だけが参加するWomen’s Meeting は必須とも伝えてあった。偶然、学生達と一緒にいる時に、旧来の知り合いでVermontから来ているLauraさんと再会したために、学生達のことを話し、男子禁制のWomen’s Meeting の中でのフォローをお願いした。このMeetingでは、入室する段階で席割りがあったらしく、日頃一緒に行動していた学生達はバラバラでの着席。なかなかにシビアな展開だったとは思うが、Lauraさんの機転もあって上手く乗り越えることができた学生、独力でやりきった学生など、貴重な経験をしたものと思われる。

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デベコン開催期間中は可能な限り学生達と別行動を取り、自分達の眼で見たり、耳に聞こえてきたり、肌で感じる雰囲気を大切にしてもらいたかった。期間中、日本からの他の参加者の方々から聞こえてくる学生達の様子に一喜一憂するも米国カンファレンスを楽しんでいるように思えた。

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イギリスからのプレゼンターとの進行の打合せ、会場での環境確認、音声などの機材チェックも2日目お昼休みに完了し徐々に本番に向けて準備は整いつつあった。親しい仲間内での激励会、全参加者での歓迎パーティーなど、デベコンならではのイベントを体験しつつ米国滞在を楽しんでいたが、幸いプレゼンターの喉も上手くの調整でき、悪化することもなく前日の夜を迎えることでできた。

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前夜のリハーサルと本番直前リハーサル

喉の休息の為に一日おいて迎えた本番前夜のリハーサル。
完全に当日と同じ展開でのリハーサルを何度か繰り返した。まだ、この段階でも発音困難な単語、流れが悪いセンテンスなどがあり、前後関係を考慮して置換、削除を実施した。結果、米国に着いてから全体での文章量は15%程度削減されたかもしれない。時間としても15分弱。なんとか英語プレゼンテーションとして成立する範囲にまで落ち着いてきた。サポート学生達も個々の役割を積極的に担当する者、鼓舞に徹する者、それぞれの個性と性格が現れていて興味深い。最終原稿での通しも一段落するころ、深夜に限りなく近い時間となったため、翌日のお昼休みに本番直前最終確認をする、と約して一旦散会。私は、それに繋がる流れの形とそれ以前の英国プレゼンター(Oliver)からの受け渡しの流れの検証を続けた。

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翌朝、学生達の体調だけはチェックし特に問題ないことを確認。食事をとりつつもデベコン最終日を楽しんで欲しいと伝える。私個人は、午前中に聞いておきたいセッションを確認した後は部屋に戻り、最終チェック。Speaker 参加は楽しいが、必然的にリハーサルに取られる時間が増えるのは仕方がない。学生達が集まったお昼休み時間にはプレゼン全体の最終チェックを実施。各々が役割分担をしつつ本番と同様に進行し、最後までストップすることなく終了。あとは本番時間を待つのみとなった。

セッション本番

まもなく時間となる15時半ころ、会場である TexasDの部屋に入るとちょっと違和感がある。

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前日にテストした時には感じなかった違和感。なんと部屋の大きさが倍になっており、且つスクリーンも2枚。演台が2つのスクリーンの間に挟まれる形で配置されている。会場が大きくなっていることもあり念の為に再度マイクテスト、画像の出力テストを実施。前セッションのプレゼンターとの交替をしながら、壇上に立つ3人にマイクを設定し、それぞれの音声チェックも完了。サポート役の学生達も会場の後方、前方、ステージ脇とそれぞれの役割を確認して着席完了。開始時間を待つ。

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16時スタートのセッションではあったが、今回のデベコンセッショントラックの関係上、このセッションはクロージングセッションの直前。これまでの参加経験からすると集客的にはきつい時間帯ではある。セッション前半を担当しているOliverが英国から、ということもあり会場内の参加者は日本人は多いものの一見して海外からの参加者と思われる方もいて緊張感とともに気持ちも盛上ってくる。

壇上に立つ学生は、セッションスピーカーではあるもののドレスコードの適応外ということであるために、日本から持ち込んだ浴衣をサポート役の学生に着付けをしてもらって和服姿で人目を引いている。一方でサポート役の学生達も普段の様子とは異なり、落ち着かない表情で「これでいいの?」「これはどうしたらいいの?」と眼で訴えかけてくる。幸いにして私自身スピーカー参加は2回目、パネルディスカッションを含めれば過去4年で3回目ということで予想外に落ち着いている。これが初めての経験だったらこうはいかなかったであろう。やはり経験に勝るものはそうそうない。

セッションスタート

これが米国スタイルなのか、前回は面食らったが例によって、セッションのスタートはプレゼンターに一任されている為に、今回の始まりは私の言葉から始まった。用意したスライドを選択し、メインスクリーン、サブスクリーンにも画像が写っていることを確認。音声もスピーカーから出ているこを意識しながら、会場の前後に座っている学生達に「さぁ、始めようか」と合図。セッションタイトル、セッションスピーカーを紹介し、このセッションの構成を説明した後、Oliver を壇上に招き上げて、マイクを交替。Oliverのセッションが始まる。

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セッションスタート

当初は15分程度、と言っていたOliver ではあったが、20分経っても終わらない。25分に迫ろうかという時に Oliver から後半セッションの紹介を受けて壇上に再度上がった。一呼吸置いてスタート。大雑把な原稿は作ってあったので、基本その内容、文面に沿う形で進める。会場の様子に気を配る余裕もあり、比較的落ち着いているのは、前回に比べると自分の担当時間が少ないことと、もっと緊張している学生達が傍に居る為かもしれない。時折、部屋に出入りする参加者の方達の表情ですら確認できるレベルの緊張感で進めることができていた。

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Please welcome “AYAKA KATO”

15分弱の私のプレゼンでキャンパスプログラムの紹介や各大学の実践を紹介した後に、プレゼンター学生を壇上に上げ、マイクの確認をし、演台前に連れて行く。緊張感で何も言えなくなるというような状況に陥ることもなく、すんなりと、良く通る聞きやすい好い声で始まった。

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何度聞いたか判らない原稿英文ではあったが、これまでの練習、トレーニングでコメントしていた様々なポイントについて程度の差こそあれ、きちんと対応して進んでいった。6月に頭を抱えてしまった英語の発音はそこには影も形もなかった。相当練習したのであろう。全く別人の英語と言っても過言ではないほどの上達振りだった。後で聞けば、同じアパートに住むサポート役の学生達、或いは、遠くに住む英語が得意な友人達と時間が許す限り音読し、チェックしてもらい、また音読する、ということを繰り返していたらしい。読み進める原稿に合わせて出力スライドを適時展開する役のサポート学生、会場の前部、後部の位置に着座してプレゼンターの声の状態、スピード感などをチェックする役のサポート学生など、役割分担がきちんと機能している。セッションは特に大きなトラブルもなく順調に進んでいく。「凄いなぁ」と思っていた中盤、ちょっと言いよどんだかと思ったら「あ、やべ」と強烈な日本語がマイクを通じて部屋に流れた。おそらくは日本の方ばかりだろうが会場に笑いが広がる。「まずいな、次に進めることができるか?」と若干不安に思っていたが、何事もなかったかのように、進むことができていた。たいした度胸である。

そして、何度も読込んでいた原稿も遂に終盤。

Thank you filemaker ,thank you everybody ,thank you

と最後のセンテンスを読み切ってプレゼンも終了。マイクを引継ごうと演台に上がると、いつもケラケラと笑っていた眼には大粒の涙。「緊張もしないなんて度胸があるなぁ」と思っていたが、若干20歳そこそこの学生。緊張していない訳はなかった。無事に終わってきっと、ホッとしたのであろう。「私、彼女がやり切ったら絶対泣いちゃう」と言っていたサポート学生の声が脳裏に浮かぶ。そんな様子に会場の多くの来場者も貰い泣きしてしまっている。なんとなく会場が暖かい空気に包まれた。

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何件かの質疑応答を済ませ、セッション終了。Women’s Meeting で一緒になっていたLauraさんもステージ脇に駆けつけて「良かったよ」と声をかける。学生チームもプレゼンターの労を労いつつ、みんなで良かった、良かったとセッションの終了を祝う。

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この後、クロージングセッション或いは帰国までの行程は残ってはいるとはいえ、メインとなるイベントは終了。まずは、御苦労様、本当によく頑張った。Tw上では、外国の方からの好意的なコメントもいただき、喜びもひとしおだった。

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Closingから帰国

無事にセッションも終わり、程なく始まったクロージングセッションで公式トラックは全て完了。クロージングでも学生達の大写しの写真が採用され、終わってみればオープニング、クロージングと始まりと終わりに全聴衆の前の大型スクリーンに被写体として採用されるという学生達の大活躍振りのカンファレンスであった。こうしたさりげないけれどとても暖かな DevCon Team 気持ちは本当に嬉しい。苦労もきっと報われると思う。そんな喜びが顔に出たのか、クロージング後の記念撮影では、これまでの写真とは随分と異なり、皆、充実感に溢れた表情を見せていたのは印象的であった。

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全ての予定行事が終了した米国会場で最後の夜は、知り合うことができた多くの日本の方々との懇親会で愉快な時間とともに幕を閉じた。

翌朝はお昼過ぎのフライトで日本に直接帰国する学生達と共にダラス空港まで行き、搭乗手続きを済ませ、保安検査を無事に通過する所まで確認して、私ができる学生への直接のサポートは終了。私もこのあと別の空港に行き、帰国の途についた。

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翌日、学生から無事に全員帰宅したことを知らせるメッセージを確認して学生達とのデベコン参加は終了となった。

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終わりに

故三谷先生との縁から始まった北海道をベースにしたFIleMaker キャンパスプログラムは、千歳科学技術大学、札幌国際大学、知床斜里高校へと広がり、昨年は東京でのカンファレンスに参加することで当初の目標を達成した。今回は更に FileMaker 界では最上位のイベントの1つとして位置付いている FileMaker Developer Conference に多くの関係者の方々のご協力をいただきながら国内でも数少ないプレゼンターとして学生に参加させることができた。当初は冗談ともつかずに話していたデベコン参加であったが、数々の困難を乗り越えながら無事に全ての目標をクリアして終了することができたのは関与していただいた本当に多くの方々の支援なくしては実現できなかった。心より感謝の意をお伝えしたい。学生達は早ければあと半年余りで社会人としての生活を始めるが、後に続く後輩達とともに、このデベコンで得た多くの知識をこれからFileMakerを始める若者達に伝えてくれるものと信じている。また、大学生活という極めて限られた時間の中で得難い経験をした渡米組の学生達は、ソフトウェア業界への就職の如何を問わず、それぞれの社会人生活の中でこの経験を活かしながら新たな生活を始めてくれるだろうと思っている。

振り返ってみると例年になく怒濤のデベコン参加ではあったが、このような貴重な機会を与えてくれたFileMaker社並びに支援していただいた多くの関係者の方々に心から感謝します。また、貴重な学生生活最後の夏休みにこのようなイベントに参加し、ともにFileMaker Developer Conference を楽しませてくれた札幌国際大学F.LT(FileMaker Lunch TIme) のメンバーに最大限の敬意を贈りたい。ありがとう。

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